第2章(佼成推敲中につき、お見苦しい点をお詫びします)


舟が彼らを迎えに来たのはそれから間もなくだった。

ニーナは夕暮れに大きな三日月のようなそれが降りてくるのを見た。

それから後のことはよく覚えていない。お別れのことばを言うことはなかったように思う。

また戻ってこれるのだから。

「行ってくるね」というようなことはお母さんとお父さんには話したように思う。


寝室のような場所で目を覚ましたとき、1人の御使いだけが彼の前にいた。

マールと合流するはずでいたのに、これではどうにもならなかった。






その御使いはただ自らを「紅と呼ばれることだけを仔に告げた。

「私は嘘をつくのが得意ではないんだ。だから本当の事を話して納得してもらおうと思ってね」
「なにをしたんですか?」

「君には我々と共存出来るように手を加える予定だった。結局中途でマ−ルに邪魔されたがそれは巨人達にとって都合の良いことなのだよ、わかるかい?」
「わかりません」

「素直でよい仔だ。つまりこういうことだ。全ての仔が我々のようになれるわけではない、だが、そうでない仔にも生きる意味が与えられる。我々は君たちを可愛がり、保護する。君たちは我々を愛し、奉仕する。これは君が“意識”せずとも自然と身に付くことだ。そして劣化する前に平安を得て、時を得たば次なる生を受ける。」
 紅はに−なの肩を軽く叩いた。

「まずはこれを観てもらおうかな。巨人達の星に遊びに出た時に私が見つけてきた。」

 紅は十数分程の短い映像を脳裏に直接再現した。
 
 はるか昔、舟がまだ風をを受けて水の上を波にもて遊ばれながら滑っていたころ、

−ながれをうけてはしるふね?−

 舟の羅針盤が壊れたのだろうか?
 厚い雲で星も使えない夜、船乗りの一人が、何か鳥を放っていた。やがて鳥は戻って来
た。

「ちょっとわかりにくいかもしれないが君は鳥だ。そしてこの船乗りたちは・・・もちろ
ん巨人達だね。これから何が起きるか観ておくといいね。」

 舟は陸地を見つけた。
 彼らは銃を持って、温帯にある小さな島に上陸した。
 そこには「人」はいない。

 そこには「鳥」がいる。
 飛ばずに走る鳥がいる。
 トリはいなくなってしまった。

−なぜ−

 巨人達はトリを捕まえた。

−そして−

 舟は港に帰って来た。                            

かげろうの中にマストが見え、甲板から港の海鳥の姿と荷役と迎えの人の列に気がついた

時、に−なは二つの視点が同時に自分のもとにあることに気づいた。

 飛べない鳥達は巨人達の言葉でいう鳥を「飼」う「とりかご」ではなく、格子のついた容れ物、「檻」に入れられていた。

 もう何か月も過ぎているのか、粗末な管理のためか、別の理由の為か、いずれにしてもその数は目に見えて減っていた。
 そしてそこからようやく出られた時に。

 巨人達はオノを持っていた。 

 巨大な質量がその躍動に任せて鉄の嵐を起こし、港の場末を踊り狂っていく。 

 何かの液体が飛び散り、張り裂けた部分から花開くかのように辺りを染めあげていた

 に−なはそれを手で、いや彼の羽を広げて触れた。羽毛をむしる毛むじゃくらの手、そ

の先を追えずにいると、船倉に肉の塊が塩付けにされていることに気がついた。

 それを導いたのは一羽の?

「ぁ−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−!」

 紅は手遅れにならない前にニ−ナをもとの空間に引き戻した。

「君のしたことが何を引き起こすのかを理解してもらおうと思ってね。少し強すぎたかな。困ったことだ。けれどもこんなことは君たちには起きない、これは昔のはなしだからね。

「僕らには君をどうすればいいかわかっているから、心配ない」

 紅は仔の扱いを、その反応を見る毎に言い得ない快楽が浮かびあがるのを楽しんでいた。
 
そしてその時、カルタバと彼らが呼ぶ、首に巻いた布を何気なく触っている

御使いは、そのとき、自分を確かめては無意識と故意ともつかない意識の中で被虐的な構造へとにすりかえていった。

−これはたいした試練だ。この楽しみを、劣化に引き合うだけの向上を果たすのは大変だが意欲も増す。緑青よりも我らの方が
佳き資質を持つ、その証がこの意欲の力だ−

「寒いのかな?今日私がおこなった事の意味を理解するのだ。さあ、次の主人の基で学ぶといい、彼女なら別の意味を与えてくれるだろう、君がよき仔となるか、あるいは試練を受けて御使いとなれるかは、ここから始まる。」


「君に我々の抱えている問題を与えてみよう。それが君を引き上げるのに必要な試練となる」 

その使徒はそれだけを彼に告げ、鍵を預けた。リノリュウムに似た材質の壁と床に囲まれた審問室はそのために間もなく空っぽになる。 

僕は外に出ることが出来た。ここは? 建物の外には見慣れた風景。そうだ、僕は見つけたんだ。不思議な生き物。耳が長くて犬でもないし、猫でもない。どこから来たのだろう、学校の近くの土手の過ぎて・・・そうだ川岸のとうもろこし草畑のそばで。「ごめん、知らない生き物は駄目なんだって スワンニもムロ−ムもやっぱり知らない生き物は怖いんだ。だったら僕だけでも、元気にして返してあげよう。母さんに頼めば、なにか知っているかも、それに使徒庁に行けば父さんが御使い様に頼んでなんとかしてくれるかもしれない。大分弱っているし。 彼が簾を開くと、彼の母の声が外から聞こえた。それで彼も振り向いた。

「お帰り」

「ただいま、菜園の手入れ?」「そう、今日は母さんのお勤めの日でしょ・・それは・・・見慣れないわね。怪我しているの?」

「いや、だけど弱っているんだ、なぜなの?」「それは・・・林に返して来なさい。」

「でもそれじゃはかなくなっちゃうよ」「それなら元気になるまで育ててみる?だけど私にもこの子をどうしたらよいかわからないわ。だから」

「大丈夫、やってみるよ」 

 その生き物にまず水をやろうと思って井戸の水を汲んで清水器に通している間、その生き物はちょっと首をかしげていた。外のその方向には多分パシエが草を汲んでいる。そうか!
 その生き物は草は食べないみたいだった。夕食の時間になったので僕は母さんとミニエットを作った。「これ、少しわけてもいい?」 僕がそのス−プを皿にわけて、とうもろこし草を噛んで歯をいたわっている間に少しは食べてくれたみたいだ。青白い感じは大分うすくなっていた。「なにかが足りないみたいじゃない?」「変だね?やっぱり変だね、ねえ、明日は母さんが仕事で、父さんが家の日だよね。お勤め明けにでも聞いてみて」「わかったわ」
 僕はその夜、なんとなく月の光にあてたらよくなるんじゃないかという気がして、窓辺にその子をおいてみた。そうだ。今日は月が三つ出る日(タ・ミ)だから、いい日なんだ。名前をつけるのにね、最初に食べたのがミニエッタだからタミニエ!いいだろう?」
 翌日、学校から帰ったら父さんが言った。

「君の連れ帰った生き物、怪我はない、だが元気もない、そのままでははかなくなってしまうだろう」「どうすればいいの!」「別のものがいるんだよ。でもそれはない。けれどもそれに気付けば生き延びられる。でもそのままではかなくなってしまう」
「どうやったら気づくの?おしえて」「それは父さんにはわからないな、たぶん・・・君が気づかせてやれれば」
                                       
 僕には出来なかった。だからその生き物は翌朝には冷たくなった。「今日は学校は休みでいい。それを林に埋めてきなさい」 父さんはそれだけ言うと仕事に出ていった。 林は川岸を膜の上を通っていくところ。僕は一人で行った。そういえばマ−ルさん、あれ?僕はまだ会っていない」

 「気づいたかな?ニ−ナ君。私だよ。紅の使いさ。このかわいそうな生き物は私が土に返してあげよう。でも君はどうすればよかったと思う?「今までのは夢?違うよね。僕は・・・何も出来なかった」

 そんな悲しそうな顔をする必要はない。この生き物は・・・耳が垂れているね。もう一つの“食べる”によって生きていたんだよ。それには巨人のように歯を使うんだ。だが君たちの食事の取り方を、喉で取り込むやりかた、そして時折固いものを噛んで歯をいたわるやりかたを覚えたら君たちの世界でも生きていけたのに。残念だ・・・この生き物は他の生き物をはかなくする、いやその生き物を吸収することで生きていたんだ。


 僕には意味がわからない。でもここは僕の家の前、何故?今日は母さんが家にいる日だよね?どうすればよかったの?どうすればよかった・・・・

「我々は君も助けてあげたいんだ。君は君を連れて来た人によって汚されてしまったし、君の頑張りが不十分なためにこの生き物をはかなくしてしまった。この生き物はもう土に返すしかない。そして君がこの生き物を生かすことが出来たら我々のことも理解出来るはずだった」

 紅の使徒は自らの判断を補填するため空を仰ぎ観た。光の粒子によって折り込まれた空の映像の向こうにある本当の天に向かって。 意見を求めた

−この子は試練には適当ではなかった。運は彼を結ばなかった。浄化による安楽を−

−私が引き取りましょう。かなりいいところまでいったのです。きっと優秀な仔に違いありませんわ。丁度一匹役目を終えて寂しかったところですの− 

「君は私に聞くべきだった、。そうすればすぐにこの生き物に生き方を教えてやれたのに。でも君は立派だった。立派にやったので私は君をとがめはしない、祝福しよう。泣いているのはおよし。さあ、手を出して」 
 僕のしたことを赦してくれる、僕のがんばりが足りなかった、


「それは違うわ。あなたはこの仔のそばについていたわけではない。この仔がいないはずのあなたを呼ぶはずがないわ」


−その声はマ−ルか、君は賢くない生き物だね。この子は常に我々の存在を感じているはず。彼らがわからなければ私が教えてやれた−


「二人はこの子の親には若すぎたわ。この試練に限っていえば。罪を被ることが出来る者は罪を犯したことのある者、いや罪を知っている者だけですもの」


 僕は木の木目の縁にいた。ここはどこだろう?御使い様もあの人も見上げるほど彼方に見える。二人?怖い・・・大きな木目のようしわが山を作って、そこから先に大きな月が出てきて、いや違う髪の毛、人の顔?雷のような低いうなり、いきなり衝撃と共になにかに押しつぶされる・・・僕は意識が遠くなった。
 うなり音はまだ続いているのだろうか?・・・コ・・・・レ・・・うなる低い音・・・ハ・・・何も見えない。かすかな感じの中で僕は寒かった。それが今は・・・暑い、暑いよ!揺れる、押しつぶされる・・・あったかい?・・・ナタキミノホン・・・トウノスガタ・・・・・・・・ジ・・・ャナイワ

−驚いたな。本体が別の場所にあることを知っているとは、いったい何処で覚えたというのだ。神々は大層悲しんでおられる。いい仔を一匹失ったからね。せっかくの安楽の機会を奪うとはね−



 マ−ルは走っていた。全速力で走ると勢いで握り潰しかねない。他に方法もあったかもしれないがそれには知り合って三ケ月もしない時点では未だ勇気が必要だった。−声は伝わらない、轟くから。でも息遣いなら− 四番フレ−ムは最下層。ニ−ナの体はその近くにあるはず。


 なにか届いた・・・ハッ、ハッウ?ハッアツ?ト?ハッンハッンッウッテッ「トンデ?なにを?」「跳ンデ?なにを?ぼくを」「ぼくの?」イッウッウッハウッウシキ、ひどく揺れる!頭がフラフラする。暑い、熱い アツイ。イタイ
「意識を跳ばすの!飛ぶの!」 僕は熱かったし、何かに潰されそうで苦しかった、何か外が見える。ああ、飛べばいいんだ、だって僕は飛べるみたいだから。 丸太のようななにかをおしのけてぼくは飛んだ。何か凄い音が響いて耳がツィ−ンとなって僕はその方向を見た、上の方に何か?観た!誰!・・・何kaかka!僕の頭は真っ白になった。



−手際が良すぎるね、あの巨人共の使いは・・・あの仔の本体をさらっていくとは賢こすぎるよ。おかげで次のステ−ジが遠くなってしまった。せっかく私が神々になれる手前だというのに、もったいないことになった−


 紅の使徒はそう心の中で呟くと、聖杯をあけて安堵の笑みを浮かべた。その様子は肩の荷が降りたとでもいうべきだろうか。
−大丈夫、定期便はかならず戻ってくるものさ。それがあの巨人の使いの運命だから−

「ミタンニの矢へ、今回の狩りは要らない。追う必要もない。いい芝居を観覧させてもらったからね。お代はつけにしておくよ」
 いくつもの声が“それ”の、その使徒の部屋にこだました。

「理解したよ」

「そうしよう」


「わかった」



 僕が気がついた時、あの不思議なこわい夢は終わっていた。あれ、マ−ルさん?「まだ動かないで! 未だ定着してないの。」
「どういうこと?何かうなされていた。僕の家を舟で出たんだよね、僕たち」「そう、そしてどうにか振り切れたわ」「何を?」「悪夢からよ。間に合ってよかった・・・よかった、本当に」「何処に行くの」「不思議な世界よ。あなたにとってはね、今あなたの体内に埋めてある遺伝パスで最後の防壁を抜けるわ」 「誰が取りつけたの?僕の体に?」「使徒たちよ」−あなたを飼うために− マ−ルは最後の防壁を抜けた時、再び気を失ってしまったニ−ナの方を見る余裕が生まれた。彼女と同じ一四才、それは二人にとって互いに偽りだった。
 七才とニ四歳という・・・

 に−なにはもう、自分が何をしてきたのかわからなくなっていた。
−ぼくはただ、ぼくの知らない世界を見てみたいと思っただけなのに、それなのに、周り
がみんなおかしくなっていく−
−どうして、ぼくがいけないの?−
 しかし、に−なは心のどこかに思い当たるものがあることをみつけた。ただそれが理由
だと決めることは、受け入れることはとても出来ずにいた。

 紅は既に手筈を整えた。緑青が聖域に呼ばれている間に事を済ませる必要があったから
だ。
 紅は緑青が特別な意識と事情を持つことは既に知っていた。だから彼らと異なる自分た
ちの方針を先に立証する必要があった。
 紅は彼らに禁じられた意図が隠されていることを嗅ぎとっていたが、彼らを糾弾するよ
りも確実で自意識を損ねない方法、その前に彼と同じ方針の御使い達の佳き粘土となる生
き物を提供することを考えていた。
−これは、我らの、いや私に添う御使い達の上昇の目的にかなうだろう− 
−あの巨人の御使い、マ−ルがどの程度御使いの役目に向くか、興味のあるところだ。仔
よ、抑圧された反応を開放した時の、巨人共の本性を知るがよい、我らと違い、力を向上
に転化出来ずに自滅するか、それとも「私」の方針をを継ぐ者となれるか、興味深い。−
 








舟が巨人達の住むというその星系重力に縛り付けられ、沈み込むのにそれから半日程の時が掛かった。





「降下率四十メ−テ、形状サファイア、攻撃許可を!」
 
防衛指揮官はそのオペレ−タ−に攻撃機の高度を確認させた。何のために?しかしすぐさま
リ−ダはその問いに答える。 

「コンタクト、高度は三万九千、フォ−メションは短より長へスイング」
 その時彼の左右にいた副官の右が彼に耳打ちをした。

−緊急回線より割り込まれています−
−やはりそうか。スクリ−ン解除だと!奴ら何を考えている!いいから回せ−
 管制室中央のディスプレイが切り変わった。

「あの機体はこちらで捕獲します。手出し無用」
 指揮官は何故モニタ−の人物が“ 敵機 ”と言わなかったのかに気づくことなく、や
や怒気を含んだ声で返した。

「安全にやれるという保証がどこにある?北西管区の連中に骨抜きにされたのではありま
すまいな?ミニエ・カトリィ一刀官殿?」
 彼はひじ掛けに指を押しつけつつ相手側の反応を待つ。しかし相手は有無を言わせぬ手
段に出た。

「特例三号です。繰り返しますか?ナホト・サカキ第八管区迎撃管制長殿」

「それは丁寧に。聞いての通りだ。特例三号解除!」
 オペレ−タ−達が既に解除済みのスクリ−ンに続いて、

「ECM解除!」
「複合短波発振・・」・

「おい、聞いてるのか!解除だ!」

「解除しました!」

 発振の解除、それは巨人達にとって自らの防御手段を放棄することに等しい。三年前、第六管区のある基地は発振器の不調により転送された敵の無人機、いや人とよべるのかわからないがとにかくそれ、“ 甲冑魚 ”が基地内部に侵入、消滅した。 その事実はひた隠しにされてはいるが、今や下級士官の間でさえ、その惨状は恐怖の的となっていた。
 リミエは
そのやりとりが作戦部である軍、つまり管制塔内のスタッフに筒抜けになるこ
とを意に介せず、そのサファイアカットのような舟、御使い達が指揮のために使うそれに
対して交話を開始した。

「マ−ル、聞こえて?識別コ−ドを表示なさい!」

 管制塔のスクリ−ンの向こう、調査部の通信員が“黄緑”のサインコ−ドを要求しよう
とタッチパネルに手を当てる前に、双方のスタッフの間に起こったどよめきが共鳴するか
のように互いの回線を交錯した。
 御使い達の機体が視覚欺瞞のために放出する残像を生み出す光の粒子、巨人達が“ 昼
のオ−ロラ ”と呼ぶそれは、瞬時にその呼びかけに応答した。、ほんの数秒ほどの後、
まるで曲技飛行機がスモ−クを使ってするような文字、ある速記文字で次のように示した。
“ 黄緑のマ−ル ”と。        
 それを読むことの出来なかった一人の中年の男はそれが敵でないことは理解しながらも、
しかしまだかけひきを続ける気でいた。

「なるほど、やつらもたまには面白いことをする。あのサファイアは君の玩具かね。それ
とも指にでも飾るつもりかな?」

「それならそちらは御使いがジョ−クを産み出せるとでもお考えのようですね」
 今度は彼の左が急いでそのサインの意味を指揮官に報告した。この男はそれから小一時
間もの口を噤んだままで、二人の副官は残された権限を最大限に使って、その後始末をや
りくりするほかはなかった。

 マ−ルが防疫室を出たのは昼過ぎだった。だが一方でニ−ナは未だ出られない。逆の理
由だけではない、別の理由だった。彼らの世界の菌やウイルスがこちらに影響を与えるこ
とも当然考えられたが、こちらの世界のそれは遥かに種類が多く、強力で、彼にとって危
険な存在だったからだ。
 身体の洗浄を行い一通り身の回りの整理が付いた頃には午後二時を過ぎていた。やわら
かな初春の日が彼女を包んでいた。
  マ−ルは休息室の帽子掛けにあった粗末な双眼鏡を手にとった。たぶんここを利用し
ていた誰かが置いていったのだろう、今マ−ルの考えたのと同じことを。 斜面から遥か
かなたにこのあたりでは少しばかり名の知れた地方都市ユルアナ市、そしてそれに隣接す
る郊外の町が広がっている。 
 その双眼鏡は見かけによらず高性能だった。一体何を覗いていたのかはわからない。

−しかし−

「今日は日曜日なのね、二年振りの」
 そして彼女はこれからすべきことが山ほどあった、だからこそ今ここで気持ちの整理を
つけたかった。
 双眼鏡は再び元の場所に落ちついた。



 リミエ一刀官の執務室の自動ドアのセンサ−はこの二年の間にタッチオ−プンから重量
感知式に変えられていた。

少しずつではあるが確実に第八管区の軍部と調査部の間に確執が生じているのは確かだ。今のところ調査部は全く相手にしていない二線の軍ではあるが、上部である宇宙軍に調査部の計画を報告されることだけは避けたかった。

これもそのためのちょっとした気配りの一つらしい。すくなくともマ−ルはそうとらえた。 




「匿一級黄緑のマ−ル、ただ今帰還しました」

「ご苦労でした。完全な状態での海妖精のサンプルの入手、二階級特進に値する成果だわ」

「私はまだ戦死してはいません」

 実際彼女はこの時あることを思い出していた。それが自らの安堵とひきかえであることに気づいた時、自分は苦笑すべきなのか、それとも安堵の理由を問うべきなのかと軽いめまいにも似た困惑を覚えていた。

 一方ミリエもその気配を多分に感じてはいたが、かといって代わるべき返事を持つべきかどうかについて配慮に欠けていたことを今理解した。

「ごめんなさい。 気に障ったかしら」

「いいえ、二年もあちらの世界にいたので多少混乱していたのかもしれません」

「それは常に起こりえることだわ。私と貴女が同じでない以上ね」

「ヘカリィとトゥ−ルは戻って来ていますか?」

「彼女と彼の顛末については勿論、任務の内容についても明かせないのはわかっているわね?」

「承知しています」

「先週古文書室で古代の映画とかいう映像記録、虚構の物語を扱ったものだけど。途中を飛ばして結末だけ観た。子供さらいは番犬に喰い殺され、宣教師は異教徒に捕まり洗脳されてしまったわ・・・」

「ありがとうございます」

「気を落とさないで。遺族の方へは私の方から通知を出したわ」

 それが戦死通知の二文字が殉職に代わっただけの代物であるのは間違いない。

「感謝します。落ち着いたら私親族の所へも行くつもりです。二人とも一年後輩でしたが私の良き友人でした」




 リミエはヘカりィの遺族が先日転居したと紙片を手渡した。

「失礼します」






 
−この時僕の意識があれば僕はマ−ルさんが僕の知らないものをたくさんもっていること
を知ることが出来たはずだった。けれどもそれはあるはずのないことだ。僕は実際、疲れ
と緊張のために眠ってしまっていていたのだから−
 翌朝、僕が目を覚ました時、マ−ルさんはいなくなってた。でもそれは違うんだってす
ぐに思い出した。
 昨日の夜、すごくいやな夢をみたんだ。でもそれがなんだったのか思い出せない。
 
 その時、壁から、いや、壁に埋め込まれたスピ−カ−からニ−ナにとっての恐怖が、マ−ルにとってのきっかけが生じた。

「面会の方が来られています。至急待合室まで」


「何、何の音なの、何の呪文なの?すごい大きいよ、怖い!」

「ちょっと確かめて来る。待ってて」
 しばらくしてマ−ルさんは戻って来てこう言った。

「大丈夫よ。何でもないわ、あれはね、巨人さんの言葉なの」

「ことばって一つじゃないの?」

「そう、一つじゃないの。明日になればいろいろとわかるわ。だから今日はもう寝ましょう」



 マ−ルは彼がそろそろ気づき始めているかもしれないとは思いながらも、未だ正体を明かすのは早いと思った。彼は再び眠りについたが、彼女にはその放送の意味はわかっていたし、それに彼とは違い、実際これ以上眠ることは出来そうにない。
                                       

 妖精さらいこと調査部の資料室、しかしそのうちの半分以上はたいした価値ないもので占められている。しかしこの部屋に特殊な防音加工が施してあること、外側から見えないところにもう一つの隠し鍵を施してあることはごく一部の者しか知らなかった。

 シ-スプライト
「海妖精はおやすみ?」

「妖精さらい。たまには気の利いたセンスを持っていらっしゃる。リミエ・サトリ一刀長
殿、昼間の貞淑な演技とは見違えるようですわ。」

「ここでは名前だけで呼んでほしい。思い出すな・・・士官学校をいきなり辞めた時は正
直言って驚いた。もっとも私は気のあう後輩につられて後追いをするような奴にはならな
かったが・・・だが今は結局ここにいる」
 三五歳の軍人上がりの体格のよい女と一四の少女が対等に話をしている様は確かに奇妙
ではあったが、かつてある時代において一年違いの先輩と後輩であった二人の軍国少女は、
マ−ルが宇宙に出るようになってたちまち一〇年の年齢差が付き、さらに特殊任務に付く
ようになってからはついにそれが二十一年にもなってしまっていた。
 マ−ルが部屋の明かりを落とした。 

「さっそく本題に入ります。およそ四〇〇年振りに完全なる妖精のサンプルの採取に成功
したのは確かですが、私としては成功とはいいかねます」

「謙遜ではないようね。どういうこと」

「手筈が良すぎます。彼の件に関していえばあまりに関係者の手筈がよすぎます」

「遺伝情報のレポ−トは目を通した。 お迎えあがりに対してはな」

 それは彼が七才のままお迎えを受けたことを指しているらしかった。もっとも肉体年齢
は加老剤、いや、成長促進剤により本来のお迎えの年齢に近づくようにしている。

「ここ一世紀の間の御使い達の攻撃パタ−ンと被害程度をグラフにしてみました。一見ラ
ンダムなように見えますが、ここで我々社会の動きを代表するパラグラフをいくつか投入
してみます」  

 マ−ルはホログラフを入れた。
「なるほど、侮れない。手の内を見透かされている」

「一見我々がきわめて優勢のように見える場合でもそれはかれらの肥やしにしかならない
とも言えます」

「なんだって?」

「彼らは我々と彼らとの間に適度の緊張、いや、活力がつくように意図的に攻撃を仕掛け
てあるいは仕掛けられているということです」

「軍の連中は気づいているのか?」。

「一部の者は気づいているでしょう、しかしそれに気づいている者もそれを認めてはいな
いでしょう」

「控えめだな」
「どうも」

「まだデ−タが不足です。しかしもしあの子供、いや妖精達の世界に対して、彼らがどのように接しているかを調べることはかなり有力だと思われます。以上が現在言える全て
です」 
「ご苦労でした。 だが休暇と任務を同時にこなしてもらいましょう。構わなければ」

「構いません、今は」

「サンプルに対して一番信頼を置かれている君ならば彼らの世界の文化、思考形態の研究、
我々の社会への適応とその後の処置にも問題が生じにくい、そう判断しました」

「有意義な休暇にするつもりです」

「よい休日を」

 去り際、ドアを開く前にリミエは昼間の声に戻ってこう言った。
「早く帰ってやることね、逃がさないように」 

「その言葉、十年前に聞きました」

「その話は忘れなさい、私はあの時以来君を欺かないと誓った。それを裏切ることがあれ
ばその時は好きなようにすればよい」

被験体が最初のプログラムのためにルアナ市へと向かい前日の早朝になって急に専門
の技官から急用で来れなくなったとの連絡がリミエの元に届いた。
 リミエは尉官を待たせながら、未練もなく着替えを済ませた。それはまさに制服の為に
生まてきたかのような振る舞いであったがリミエはこんな時、自分が下らないと思ってい
ることにはこだわらない。
−今度のはまともなようね。しかしこうも外部の者に“もてる”と楽しみが増えるわ。や
つらがいかに無能かをすぐさま証明してあげる−

「面接調査の経験を持つ者はいないのか?」


「マ−ル以外ということになると・・・」 
 前回の作戦には犠牲が多すぎたことを改めて肝に命じる必要があった。扱いは慎重に。

「資格を持つものが一人いるだろう?実地経験は別としてな」
 
係官は怪訝な風をしたがやがてあることに気がつき上官である一刀官の方を遠慮がちに見た。

壁のスピーカーが軽いメロディが朝の日ざしをことさらに強調するかのようにささやく中、彼女を迎えに来ていた尉官が敬礼をする。

「予定を変更。私が面接を行う。午前中に準備を頼む」

 尉官はすぐさま返事を返す。そこからはいつもの調子をとりもどしていた。


 ここに来るまでずっと考えていたこと。皆の知らないことを知ったと思ってた。でもそ
れはちょっと違うみたいな気がした。
 いよいよ明日から巨人さんの町に行くんだ。どんなところかな?


 その時マ−ルが展望室に入ってきた。

「巨人さんが、お話したいんだって」

「僕と?マ−ルさんは?」

「私はもういいのよ、終わったから」


 面接はそれから数分の後に始まった。




 最初にまた数分もの間沈黙が続いた。リミエはかけるべき質問を吟味していたし、彼は彼で初めて間近にみるその奇妙な服を着た巨人を隅から隅まで観察するかのように見るので奇妙な緊張が続いた。

しかしあれだけ待たせた後での第一声は順序こそ常識的な初対面
のそれと異なるものの、内容は他愛のないものだった。もちろん彼の世界の言語に不慣れな為もあったのだが。

「私はリミエ・カトリィここで一番“えらい人”よ」

 しかし彼女はまだ少し誤解をしていた。

「それ、何ですか?」

「何」

「ここに来る時の周りの巨人さんの感じ・・・“ まとめる人 ”のこと?」 

 リミエはどうやらもう少し普通の言い方でも大丈夫と判断したのかこう続けた。 

「どこから来たの?名前は?」

 答えを最後まで聞いた時、思わず彼女は使いなれた声をあげ、次に普通彼らがおこすべき反応で少しばかり笑った。
「あの、巨人さんの呪文、僕にはわからないんです。わかるようにしてくれませんか?」

「大したことじゃないのよ・・・今の話し方、いい感じよ」 

 そしてリミエはすぐさま自身の経験に従って、この年代の子供特有の質問をくり返す動きを牽制する。ここで一見流暢にみえた彼女の語彙に限界が見え隠れする。

「どうして僕を巨人さんのところへ呼んでくれたんですか?」

「君にはいろいろとこの世界のことを知ってもらいたいからよ。もし出来るならそのことを君の世界でも話してもらえると助かるわね」
 すでにお迎えを受けた彼に、それはありえない。そして実際、マ−ルの行為が御使い達に知られている以上どんな偽装も無効だった。

それでも彼は自分がしたことが彼の世界で“してはいけないこと”だとは思っていないのか、リミエのそれは効果的な方便となった。

「どうして助かるの?」

 リミエはそのうちわかるからとそれを留め、逆に何か質問があるかを聞いた。

−なんか、僕たちとは違う感じ−

「聞いていいですか?」

「どうぞ」

「巨人さん、こんな近くでみるの初めてなんです。あの・・・巨人さんのふうっとした感じの服の飾り、二つ並んでるの、一体何に使うんですか?」

「え?」


 リミエは一瞬記章のことかと思ってすぐにそれが何かわかり、声を立てて笑った。かなりの誤解を交えながら。

−おませな子ね。でも七つ委ならこの程度ね−

 笑いを押さえながらもこれでリミエには余裕の持ち札が無くなった。なかなか質問に入れないので彼女は一瞬彼が自分のことをマ−ルから聞いていてわざとやっているのかと疑ったくらいなのだが、それは馬鹿げた想像だと思い直した。

「それ、褒めてるの?」

「わかりません、ただそんな感じがしたんです」

「そのたとえ方、気にいったわ。それじゃあ肌の感じはどうかしら」

「ふつっ、ぱさっとしたみたいな・・・」

「女の人に向かってそれはないでしょ、ここではいいけど、これからはそれは失礼な言い
方だと覚えておくといいわ。それからさっきのは服の飾りじやない」 

 そこは特別室だったので彼女は少しばかりのその不機嫌を被験体をからかうことで晴ら
すかのように制服を開けてそれを証明してみせた。

−なにか得体の知れない生き物が巨人さんの体に、胸のあたりにいた。それは僕をじっと
にらみつけた。ふるっっふるっっ、目が動いている、来ないで!巨人さんが僕の手をその
生き物に・・・ああ、いやな感じ!手が溶けるよ!、やめて!− 

「ごめんなさい、もう言いません、だからやめてください。僕にその生き物を、罰をはず
して!」 

 リミエが彼の手をはずした時、丁度昼になった、いやそれは彼女の読みだったのかもし
れない。彼女は前を正すと係官をベルで呼んだ。 

「休憩にしましょう」

「何か食事をとらせますか?」

「気を失っているから後でいいわ。こちらの食事は全く受け付けないはずだからとりあえず飲む類い(流動食)のやつを。メニュウの詳細はマ−ルに聞いて」 

防疫スタッフはマ−ルに処置が済んだことを告げた。

「例の・・・ニ−ナですが、先ほど最終の免疫抗体の定着に成功しました」

「ご苦労さま」

 これでもスタッフはマ−ルに気を遣ってみせたのだが彼女自身は特にそのことを意識してはいなかった。

「思ったよりも楽でしたよ。暴れたり、脅えて逃げ出そうとするのかとも思いましたが、いたっておとなしいものです。」
−そう、彼はまわりの世界に対する疑問というものをまだ知らないわ− 

 スタッフによって初めてこの世界の外気に触れた彼にマ−ルが再会したのはそれからさらに数分後だった。

「先に出ていたんですね!」 

「そう、なぜだかわからないけどわたしの方が早く終わったみたい」「やっぱり、たくさんきれいな試練を持ってるからなんだね」

「巨人さんたちが私たちがこれからしばらく過ごすために部屋を用意してくれたわ。案内するからついてきて」

「マ−ルさんって何だか・・・何でも知っているみたいだ。すごいね」

 ともすれば自分の正体をこの仔に感ずかれているのではないかと心配しながらも、今はどちらでも構わないという気になった。ただまだ少し早すぎる、いずれわかることだとしても。 

「これ・・・寝間着ですよね?」 その言葉にマ−ルは彼が知るはずのないことを確信し、一瞬のうしろめたさを感じた。

「そうよ、それから朝起きたらこれを着るようにって渡されたわ」「うん、そうだね。ここの巨人さんたちに合わせなきゃね。」

−その恰好のままだとこれから苦労するわ、きっと−

「え、何」

「何でもないわ」

 その部屋はつい昨日まではラウンジだった。当初は地下の特別室が最初の夜に指定されていたのだが、彼に最初から不安感を与えたくなかった−それは不信につながるから−のほかにマ−ル自身、少なくとも自分は国賓なみの待遇を受けるに値する働きをしたのだと考えていたことが事態を変化させた。

 危険と引き換えに得た最初の安堵の一日目がそんなそんな独房のような部屋は願い下げだった。実際彼に逃亡の危険がないことは彼女が一番よく知っていた。それをいかにスタッフに理解させたか?それがこのホテルのような前面ガラス張の見晴らしのよい空間につながったのだ。 そうして再び彼の方を見たマ−ルはしばらく間、息を飲むかのように一瞬硬直し、言葉を失った。

「どうしたの?ぼくが何か変なの?」 


彼がその場でためらうことなく衣服を脱ぎ終わり、この世界のデザインの寝間着を着るまでの間になると彼女はさすがに横を向いていた。 七才でありながら一四歳であり、同時に成人でもある彼を単なる幼児であると割り切るにはさすがに未だ彼女の本当の年齢である二十四年の経験をもってしても不十分だったのかもしれない。普段の任務とのあまりに落差のある自分の反応に彼女自身も驚いていたのだろうか?


「ちょっと、そこにカ−テンがあるでしょう、これからはそこで着替えること!」

「これってお日様を隠すためのものだよね?ぼくがまぶしいの?ぼく、隠れないといけないの?お母さんも、お父さあんもいい人に、親しい人にぼくを見てもらうことはとてもいいことだって、そうしてもらうと、きっときれいになろうと思う、そうなれるんだって、言ってた」

「ここでは違うわ。それは恥ずかしいことなの」

「はずかしい?いけないことをした時みたいに?」


「ええ・・・っとそれじゃあこうしましょう。今日はそれでいいけど、私、明日の朝はしばらく部屋を空けているわ、その間に着替えて・・・!」


「ねえ!ほら地面にも星が見えるよ。いろんな星座が見えるよ!あれ、あの星座、なんて名前なの」

 マ−ルはそれが遥か彼方にある街の灯火であることは知っていた。彼らの世界に高層建築が無いこと、さらには彼の住んでいた地域に、適当な丘や山がなかったことが彼にこの歓喜を生み出しているらしかった。 彼女はそこで機転を利かせた。もちろん巨人たちから教えてもらったのだと断りながら。

「あれは“ 木琴 ”ていうらしいわ、ほら、細長い光、星の列が続いているでしょう、そう見えない?」


「ほんとうだね。赤や青いのや緑のもある。下の星って初めて見たよ。どうしてなんだろうね?もし“こんっう”って叩けたら、とどんな音がするんだろう」

「聞いてなかったわ」